折り鶴が折れないって恥ずかしい?

折り紙講座

「折り鶴が折れないなんて恥ずかしい」
そんな風に感じたことはありませんか?

日本人なら折れて当たり前と言われることもある折り鶴。

でも、折り紙講師として多くの方と接してきた私からすると、折り鶴が折れないことは決して珍しいことではありません。

なぜ「恥ずかしい」と感じるのだろう?

折り鶴は、日本人なら一度は折ったことがあると思われがちな作品です。

そのため、「折れて当たり前」というイメージを持つ方も少なくありません。

でも、私は折り紙講師として活動する中で、その考え方だけでは説明できないものを感じています。

千羽鶴の文化があるから

折り鶴は、ただの折り紙作品ではありません。

病気の回復や願い事など、祈りを込めて折られることも多い作品です。

学校で千羽鶴を作った経験がある方も多いでしょう。

だからこそ、「折れないと困る」「折れない自分は恥ずかしい」と感じてしまう方もいるのかもしれません。

みんなが折っている輪に入れない

折り鶴は一人で折るだけではなく、みんなで折る機会も多い作品です。

そんな時に、自分だけ折れないと少し取り残されたような気持ちになることがあります。

本当は折り鶴が折れないことよりも、その場に参加できない寂しさの方が大きいのかもしれません。

「日本人なら折れて当たり前」という思い込み

かつては学校で折り鶴を折った経験がある方も多く、「誰でも折れるもの」というイメージが残っています。

それでも「日本人なのに折れない」という気持ちから、恥ずかしさにつながってしまうことがあるようです。

実は折り鶴は思ったより難しい

折り鶴は簡単な折り紙の代表のように思われています。

ところが実際に折ってみると、意外と難しい作品です。

一度覚えると簡単だったと思い込む

子どもの頃に折った記憶がある方は特にそうかもしれません。

折り方を覚えている時は当たり前のように折れていたので、「簡単な作品」という印象だけが残っています。

ところが何十年ぶりかに折ろうとすると、思ったより手が動きません。

講座でも「こんなんやったっけ?」と首をかしげる方をよく見かけます。

折り鶴には意外と難しい工程がある

折り鶴には、紙を開いてつぶしたり、中に折り込んだりする工程があります。

慣れてしまえば自然にできますが、久しぶりにやると意外と戸惑う部分です。

実際には、簡単な折り紙というより「慣れている人には簡単な折り紙」なのかもしれません。

「こんなはずじゃなかった」が普通

講座では、折り鶴を折り始めたものの途中で手が止まる方をよく見かけます。

でもその表情は、「難しい!」というより、「あれ?もっと簡単やと思ってた」という感じです。

私はその様子を見るたびに、折り鶴は思っているより難しい作品なんだなと感じています。

若い世代は折ったことがない人も多い

最近は折り紙以外にもたくさんの遊びがあります。

スマートフォンやゲーム、動画など、子どもたちが楽しめるものは昔よりずっと増えました。

そのため、そもそも折り鶴を習ったことがない方も少なくありません。

折れないのではなく、経験していないだけ

私の子どもの頃は、周りの大人たちが自然に折り紙を折っていました。

親や祖父母、近所の人などから教えてもらう機会も多かったように思います。

でも今はそうした機会が少なくなっています。

だから折れないのではなく、単純に経験していないだけという方も多いのです。

いきなり紙を渡されても戸惑うのは普通

折り紙に触れる機会が少ない環境で育った方にとっては、いきなり紙を渡されて折り鶴を作ろうと言われても戸惑うのが自然です。

それは能力の問題ではなく、経験の違いです。

だから折れないことを恥ずかしく思う必要はないと思います。

誰に教えてもらったかを思い出すのも楽しい

私自身は、子どもの頃に誰から教えてもらったのかを思い出すのも好きです。

折り紙そのものだけでなく、その時の人や風景も一緒に記憶に残っています。

折り鶴は作品であると同時に、人とのつながりを思い出させてくれる存在なのかもしれません。

 

実際に講座では、折り鶴に結びついた大切な思い出がよみがえった生徒さんとの出会いもありました。

その時のことは、こちらの記事で詳しく紹介しています。

得意なことは人それぞれ

折り鶴が折れるかどうかだけで、人の価値が決まるわけではありません。

講座をしていると、折り紙が苦手な方にもたくさん出会います。

でも、折り紙が苦手だからといって、その人に魅力がないわけではありません。

人にはそれぞれ得意なことがあります。

だから、折り鶴が折れないという理由だけで、自分を否定する必要はないと思っています。

折れないから生まれる会話もある

折り鶴が折れないと、ついマイナスに考えてしまうかもしれません。

でも私は、折れないことにも面白さがあると思っています。

講座でも、
「ここどうするの?」
「そこはこう折るんですよ」
という会話がよく生まれます。

折れる人と折れない人が自然に話を始めるきっかけになることも少なくありません。

みんなが同じように折れるより、少し違うからこそ会話が生まれる。

私はそんな時間も折り紙の楽しさの一つだと思っています。

折り紙を楽しむことが一番大切

折り紙は上手に折るためだけのものではありません。

楽しんだり、誰かと話したり、夢中になったり。

人によって楽しみ方はさまざまです。

もし折り鶴が折れなくても、恥ずかしいことではありません。

折れないところから会話が始まることもあります。

興味を持ったその瞬間から、もう折り紙の楽しみは始まっているのです。

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